5/22/2012

Amiens


エコール・ド・プランタンの前週は、
パリから約1時間の小さな街アミアンに行ってきました。

「Façons d'endormis [眠りの作法]」と題されたコロック(研究発表会)での発表が目的です。
イタリア・ルネサンスからフランス近代まで、絵画における「眠り」を主題にした作品を
取り上げ、宗教や神話、文学、演劇と結び付けた解釈が試みられました。

発表者は博士過程の学生からポスドクの研究者、大学教授、美術館学芸員、
フリーの美術史家とさまざまで、1日のコロックのあいだにすっかり仲良くなりました。

「ナビ派における親密な眠り[Sommeil intime]」をテーマにした私の発表は一番最後。
それまでに他の発表者や聴講者の方とおしゃべりする時間があったので、
緊張の糸もほどよく解け、マイクを通すと自分のフランス語もそれらしく聞こえる
ような気がして、気持ちよく発表を終えることができました。


ところで、せっかく大聖堂の街まで行くということで、コロックの前日は1日観光。

めずらしく出発前にパリの北駅の写真を撮ってみました。
出発ホーム案内の掲示板はこんな感じ。
デジタルではなく、カチャカチャと表示が入れ替わるアナログ式です。


ホームの屋根や街灯も、改めて見るとパリらしいかも...。映画でたまに見ますよね。






1時間ほどでアミアンに到着。ホテルにチェックインして、まず大聖堂を目指します。 
ゴシック様式のアミアン大聖堂は、フランスでも最大級の大きさ。






聖人たちが居並ぶファサードも立派です。
その聖人たちの足元で、身体を苦しそうに捩る人たちや、
いじめられたりする動物が気になりました。




かと思えば、仲睦まじく見つめ合う2匹も。


大聖堂の内部は、白い石のせいかパリのノートル・ダム大聖堂に比べて
明るく広々とした印象。バラ窓も美しかったです。





大聖堂のふもとには結構背の高いまさかの鋭角建築が....
とてもなじんではいるけれど、規制とかなかったんでしょうか。

大聖堂を後にして、運河沿いの旧市街へ。少しくすんだパステルカラーの家々。



ランチは、Ficelle(マッシュルームやハムを巻いたクレープをグラタン風に焼いたもの)
なぜかPatate douce(=さつまいもと書いてあったけど、どちらかというとじゃがいも)
の丸焼き、サラダとパンとチーズ、苺のセット。
Ficelleの味は想像通りだけど、チーズ×クリームというのが重くて、食後苦しみました。

大聖堂裏のさわやかな公園を散歩。


ちょっとした街角の建物やお花も可愛い。
自分の足ですみずみまで歩き回れる大きさの街というのは、とてもいいなと思いました。



そして胃が落ち着いた頃訪れたのがピカルディ美術館。
30年来あちこちの改修工事が続いているそうで、現在は2階の絵画室が工事中。
その甲斐あってかセノグラフィが抜群でした。



1階の中心には、19世紀のサロン展示を思わせる何段にも重ねられた絵画作品たち。
でも配置にはどこか洗練されたものがあります。

大広間から一歩出ると、謎の幾何学×原色空間。
奥の部屋とのミスマッチが極まって、調和し始めたようにさえ見えました。

そして斬新な彫刻の間。高さも大きさもさまざまな台のうえに像が置かれ、
まさに文字通り、「彫刻の森」のような空間です。



しかし、天井がやや低いせいもあり、細部まで空間を作り込んでいるだけに、
天井からぶら下げた照明器具の存在感が目を引いてしまうのが少し残念でした。

そして地下は古代美術の回廊。最先端展示ケースと照明でピシっと決めています。
斜めのガラスケースは、反射を防ぐための工夫でしょうか。とても見やすかったです。

並べ方も秩序とリズムがあってとても綺麗。

こちらは展示室の隅っこから覗けた収蔵庫らしき棚。このカオス感にも惹かれます。

下方から照らし出すガラス瓶の展示にも目を見張りました。

四角い展示ケースもこの通り。
このケース特注かな、いくらくらいするんだろう、とそんなことばかり気になりました。



そしてピカルディー美術館で見逃してはならないのが、
19世紀フランスの象徴主義の画家ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの壁画です。


フレスコ画風の色彩が特徴で、パンテオンやソルボンヌ大学の壁画も手がけています。


最後に訪れたのが作家ジュール・ヴェルヌの家とサーカス小屋。
ナントに生まれ、結婚してからはアミアンに住んだヴェルヌの邸宅が、
いまでは記念館として公開されています。

作家の住まいや愛用の品々を保存・再現しつつ、
物語の世界も味わってもらおうという工夫に富んだ空間。


そしてヴェルヌが建設に深く関わったサーカス小屋。中には入りませんでしたが、
いまでもサーカスの上演が続いているようでした。



5/21/2012

Ecole de Printemps 2012


またまたご無沙汰してしまいました。
波乱の2週間を乗り越えたので、久々に更新したいと思います。

先週一週間は、Ecole de Printemps(直訳すると「春の学校」)という
美術史研究者の研究発表会に参加していました。

毎年5月頃に5日間に渡って開催されるこのイベントは、
世界中の美術史専攻の博士課程の学生と教授陣がおよそ50人ほど集い、
1日の美術館訪問日を挟んで、残りの4日間は朝9時から夕方18時まで
発表を繰り広げるというもの。

毎年違う都市で開催されるのですが、昨年はドイツのフランクフルト
第10回を迎える今年はパリ、そして2年後にはなんと東京での開催が予定されています。

今では世界中を舞台に繰り広げられる大会も、
仲の良い数人の教授たちの発案から始まったようで、
記念すべき第10回の座談会では、思い出話に花が咲くひとときもありました。



世界中といえど、中心になるのはやはりフランスとドイツで、
そこにイタリア、イギリスも加わり、
さらに今年はカナダ勢(フランス語が公用語のモントリオール大学)も大挙し、
そんななか、唯一の欧米圏外からの参加が3人の日本人でした。

発表は英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語ならどれを使っても良く、
質疑応答もこれらの言語が飛び交います。
ヨーロッパの方は、他の国の言葉がしゃべれなくても理解はできるようで、
ただただ言葉を越えてのハイレベルな議論に圧倒されるばかりでした。
発表はドイツ語、質問者はフランス語で返答は英語とか...。

そんな日本ではまず出会うことのなかった環境で、
パリで留学生活を共にする2人の研究者仲間とともに、
フランス語での発表に臨みました。

私自身の今回の発表テーマは、ボナールの「傘を持つ女」をモチーフとした
デッサンのリトグラフの連作において、
そのフォルムがどのような変遷を遂げているかというもの。

巷にあふれていたポスターや日本の浮世絵の影響だけではなく、
ボナールが何枚も試みたデッサンの過程で徐々にかたちに変更が加えられ、
また手の動きと記憶の層が幾つも重なって、
特異なフォルムが生み出されていることを示そうとしました。

そこで20世紀フランスの現象学者Michel Henryの
「Mémoire des formes tangibles [触覚的なかたちの記憶]」という概念を引き、
哲学的な考察へと結び付けた(つもり)なのですが、果たして...



上は1894年のデッサンとリトグラフ、下は1896年のデッサンとリトグラフ
 



質疑応答では、核心的な内容ではなく、突拍子もない質問も飛んで
あたふたしましたが、沈黙を避けるという目標だけはクリアしました。

発表後、イタリアの先生がずばり彫刻家メダルド・ロッソの名前を出して下さって、
私の言いたいことが少しは伝わっていたんだなぁと嬉しくなりました。

ボナールとロッソはフォルムに対しての同じ問題意識を共有していて、
今回の発表でも扱おうか迷ったのですが、時間が20分と限られていたので断念していました。


そんなこんなで発表や講演会の間は緊張と語学力の限界、そして睡魔と闘いながら、
休憩中のコーヒーブレイクや、毎晩セミナー後に様々な国の文化財団から提供される
シャンパン、ワイン、プチ・フール、チーズなどを片手に
色々な国の先生や学生たちとおしゃべりを楽しみました。

5日間終えてみて、何人か親しい研究者仲間ができたのが一番の収穫です。



そして全日程を終えた後は、一緒に頑張った発表仲間3人と、
つたない発表の様子を温かく見守ってくださった美術史研究仲間のお2人、
さらに博士論文を提出されたばかりの先輩の総勢5人の女子会で労をねぎらいました。

オペラ通りから路地に入ったところにある小さなレストラン。
内装やお店の接客の雰囲気もとても素敵で、お料理も本当においしかったです。


前菜はアボガドとトマト、蟹のタルタル。
メインはガンバス海老と鶏肉のソテー。ソースや付け合わせのお米も美味でした。


デザートはピスタチオのフィナンシェとさくらんぼのソルベ♪

お皿や盛りつけもお洒落で、また何か頑張ったときはこのお店に来ようと思いました。


5/13/2012

マルシェランチ


ご無沙汰しています。
すっかり久々の更新になってしまいました。

何かトラブルが起こったり、ホームシックになったりしていたのではなく、
本業である研究の方に集中してエネルギーを使い果たしておりました...。

先週初めてのフランス語での研究発表を終え
そして明後日にもうひとつ研究発表が控えています。

レジュメや画像の準備でてんてこまいの時期もありましたが、
とは言いつつ5月に入ってからも展覧会に行ったり旅行もたくさんしたので、
明後日の発表が終わったらまた記事をアップしていきたいと思います。

今日は1週間の疲れを癒すために、
マルシェでおいしいものを買い込んできました。

野菜のタルト、バナナマフィン、
プロヴァンス地方で採れたさくらんぼ、Bioの林檎ジュース。




おいしいものを食べて、また来週の発表も頑張ります。


ちなみに最近すっかり料理をしていない私がはまっているのがこちら。
ボブンというベトナム料理で、春雨の上に春巻きや牛肉、人参、キュウリ、
パクチー、玉葱、もやしなど野菜がたっぷりのっていて、
甘酸っぱいたれをかけていただきます。








パリで他にテイクアウトできるものといえば、
ケバブ、ハンバーガー、サンドイッチくらいなので、
Denfert-Rochereau駅のダゲール通りにある中華のお惣菜屋さんを最近では重宝していて、
お店のお姉さんに苦笑いされるくらい頻繁に買いにいってます。

4/29/2012

雨のGiverny


4月も終わろうとする日曜日、
ナビ派仲間であるヴュイヤールさんと2人で雨に濡れたGivernyを訪れました。

目的は、ジヴェルニー印象派美術館で開催中の「モーリス・ドニ―永遠の春」展です。
季節に合わせて、ナビ派の画家ドニが春をテーマに描いた作品を集めた展覧会。

ドニが暮らしたサン・ジェルマン・アン・レーの花咲く春の風景画や、
作曲家Ernest ChaussonやパトロンGabriel Thomasの為に制作した壁画には、
バラ色の花々に囲まれた女性たちが描かれています。
そして愛妻家ドニにとって、春は何よりも妻マルトに捧げられた季節だったようです。
また、受胎告知や4月の復活祭を主題にした宗教画と日常の風景を結び付けた
シリーズも展示されていました。

個人蔵の作品も多く出品されていて、
世界中のコレクターの元に散らばったドニの小品に思いを馳せ、
カタログ・レゾネ制作の苦労を慮りました。


美術館入口。藤棚はまだ育っていないようです。


調査でお世話になっているファビアンヌさんのインタビュー。


そして、せっかくGivernyまで来たのでもちろんモネの家にも立ち寄りました。
しとしと雨が降るなか、咲き乱れる花たちと変わらない佇まいの邸宅。
室内は撮影NGですが、パステルカラーの室内に浮世絵が所狭しと並んでいます。

傘の行列が可愛らしかったのでパシャリ。


薄いモーヴ色が美しいライラック。
この色を写真に収めるために、RICOH CX1を奮発したのです。

チューリップの色合いもさまざま。


バラの花びらはなめらかで心地よい手触り。
写真を通しても匂い立つ色香がありますね。


この青い小さな花はブルンネラという名前のようです。
もう少し可憐な響きの方が似合う気がするなぁ。


モネの庭は、花畑という言葉がぴったりです。
彼は絵を制作する以外の時間を庭仕事に費やしていたようです。
だから、モネの肩書きはきっと「画家、庭師」となりますね。なんだか素敵。





なかなかワイルドなヘアスタイルの鶏。モネも飼っていたんでしょうか...。

続いて睡蓮の庭の方へ。
若竹が生い茂り苔が生したこの一画だけを見ると日本の風景のようです。


そしておそらくみなさんの想像よりかなり広々とした睡蓮の庭。
日本の浮世絵でみた風景を愛し、この池を作らせたというのだからすごいです。


睡蓮の花の季節は6月のようですが、
花の咲いていない雨の池もモネはたくさん描いています。
オランジュリー美術館の《睡蓮》の連作も、この庭も、
それぞれが「画家、庭師」であったモネの作品に思えてきました。

でも、足元に水平に広がる水面と
目の前に垂直に立ち上がる絵画を見る感覚は全くの別物。
このあたりにモネの睡蓮の秘密がありそうです。

樹の幹が視覚を遮るこんな構図の作品もありますよね。

雨粒の写真を撮るのが好きです。


帰り道、Vernonに立ち寄りました。
ボナールも暮らしたパリから電車で1時間ほどの小さな街です。
Vernonからバスで15分くらいでGivernyに着くので、二人はご近所どうし。
ボナールがモネの庭を訪れた写真もあります。

白いひげもじゃおじいさんがモネ。
ボナールは相変わらず曖昧模糊と庭を眺めていますね。

駅から10分ほど歩いた広場の壁の向こうに、旧市街が見えます。

そしてたどり着いたのがVernon美術館。古いお屋敷のような建物でした。
電車の時間が迫っていたので、滞在時間は15分ほどでしたが、
ボナールの小品2点があることを確認できて良かったです。


のどかな田舎の風景の中を歩き回り、
可愛らしい一軒家カフェでショコラを飲みながら、
あこがれの果樹園のある庭について語り合い、
理想の暮らしに思いを馳せる一日となりました。


4/27/2012

きゃふん


犬の愛らしさと哀愁をこれほどまでに漂わせる
絵と言葉がいまだかつてあったでしょうか。



仙厓は天才。