8/26/2012

Pain Perdu


フランス人の主食、バゲット(細身のフランスパン)は
1日も経つとカチコチになってしまいます。

近所のパン屋さんでバゲットを1本買ってみたら
案の定食べきれず、包丁を入れるのもやっとなくらいの固さに...

そんなもう食べられなくなってしまったパンを蘇らせるために
考案されたレシピが “Pain Perdu=失われたパン” 、
日本でいうことろのフレンチ・トーストです。




卵と牛乳とはちみつを適当に混ぜたものに
バゲットを一晩浸し、うすくバターをひいたフライパンで
焦げ目がつくまで焼きます。

熱々の焼きたてにバニラアイスをのせればとろけるおいしさ。
今が旬の桃や杏もトッピングしてみました。












8/18/2012

柴犬の夏


今日明日とパリはサウナ状態で、なんと最高気温が39度です。
一時帰国中の香川や京都や東京や新潟も暑い暑いと思っていたけれど、
最高気温は上回っているし、なんだか湿気も日本並みな気がします.....。

そして悲しいことにフランスにはエアコンというものがあまり普及していません。
したがって、ひたすら物陰で耐えるしかない...
あるいは、空調がしっかりしている美術館でやり過ごすくらいしか思い浮かびません。

暑さにつけても思い出されるのはぽちのこと。
日本もまだきっと灼熱の世界ですよね。

ぽちの散歩はなるべく朝夕にしていたけれど、それでもやっぱり暑そうでした。




でも、海があるだけまだよかった。
とりわけ気温が高い日は、みずから水に入ってちゃぷちゃぷしていました。


金槌の飼い主とちがって、犬かきもできるはずなんですが、
さすがに全身濡れてしまうのは抵抗があるのかな。


8月ももう後半、頑張って暑い夏を乗り切ってほしいです。


夜の美術館



今年開館60周年を迎える竹橋の東京国立近代美術館では、
14の夕べ」と題して、8月26日から9月8日まで、
毎晩ダンスや音楽、パフォーマンスが繰り広げられるようです。

普段なら閉館してる夜の美術館でのイベント、
というだけでワクワクしてしまいますよね。
しかも会場はカラッポの企画展示室。
東近美に通い詰めた人なら、空間の変化も合わせて2倍楽しめそう。

ところで、「14の夕べ」はイベントとして開催されるものですが、
最近ではそんなにめずらしくなくなった美術館の夜間開館。
東近美(金曜は20時まで)をはじめ、国立西洋美術館、国立新美術館、
ブリジストン美術館、原美術館、Bunkamura ザ・ミュージアム、ワタリウム美術館
サントリー美術館、三菱一号館美術館、東京オペラシティアートギャラリーなどなど
曜日を限定して18時以降も展覧会を開けている都心の美術館はたくさん。
森美術館に至っては火曜日(17時まで)以外は毎日22時まで開館しています。

ちなみに欧米圏の美術館でも夜間開館はもはや常識。
パリでも、ルーヴル美術館は水曜と金曜が21時45分まで、
オルセー美術館は木曜日が21時45分まで、
ポンピドゥーは普段から21時まで開いていて、
木曜はなんと23時まで現代アートに触れることができます。

短い滞在期間でなるべくたくさんの美術館を回りたい旅行者にとっては、
(あんまりいないか...)有難いサービスですよね。
しかも、夜間開館の方が空いていることも多いです。

ですが、美術館が閉館時間を伸ばしている一番の理由は、
平日の日中はお仕事で自由時間がないという人にも展覧会を見てもらうため。
仕事帰りに気軽に立ち寄ってほしい、というのが願いです。


そんな夜間開館、きっとここ数十年で普及した美術館の戦略なんだろうな〜
と思っていたら、研究の資料集めの合間にこんなものを見つけてしまいました。



19世紀の美術批評家であり美術史家ギュスターヴ・ジェフロワ(1855-1926)が
1895年に著したMusée du Soir aux Quartiers Ouvriers(労働者たちの界隈の夜の美術館)
という本です。


ちなみにジェフロワといえばセザンヌが描いたこの肖像が有名。

モローやドーミエ、コロー、モネ、ルーベンス、ベラスケスといった作家論の傍らで、
美術館についての原稿もいくつか執筆しています。


「22時あるいは23時まで開いている労働と芸術のための夜の美術館を要請する」
という一文からはじまるジェフロワのこの本は、労働者たちが一日の仕事のあとに
訪れられるような夜間も開館する美術館の創設を提案する内容。

彼らが芸術を見てそこで感じるであろう共感を通じて、
見ることの喜びを育むこと、これが第一の目的です。

そして、実際の作品に触れることで、
彼らが物を作る欲望も刺激されるであろうと、
労働への還元も謳われています。

ただし、中世美術館やルーヴル美術館、装飾美術館といった
パリの中心部にある美術館を遅くまで開けるよりも、
とりわけ、労働者が多く住む3つの界隈—le Tempe, le Marais, le Faubourg Saint Antoine,
すなわちパリの東側に集中する地域に、
労働者のための新しい美術館をつくる必要性が訴えられています。

いかにも理にかなった主張に見えるけれど、
果たして当時のパリにそんな勤勉な労働者がどれほどいたかは謎......。

夜の美術館が実現したのかどうかも調べてみないと分かりませんが、
応用芸術の産業が花開いた19世紀末のフランスで
すでにそういう発想があったというのは面白いなと思いました。


8/12/2012

Le Manでの宝探し


フランス西部、自動車の耐久レースで有名な都市ル・マンに
通訳兼ガイドのお仕事で訪れました。

パリから日帰り、ル・マンでの滞在時間はわずか4時間です。
目的は、この街に寄贈された新潟県十日町市出土の火焔型土器(国宝)
レプリカに再会すること。

12年前には盛大な寄贈セレモニーが開かれたようですが、
そのときのル・マン市長さんもすでに世を去り、捜索は難航を極めました。

現在の所在がインターネットにも出ていなかったので、
とりあえずタクシーの運転手さんに尋ねてみますが、
博物館はたくさん有り過ぎて分からないよと....

仕方がないので旧市街の辺りで降ろしてもらい、
12年前の記憶を辿りながら、街を歩いてみることに。
道行く人に聞いても、やはり分からず....
ただ、アドバイスに従って旧市街を登っていくと観光案内所に出ることができました。

そこで土器の写真を見せながら案内を乞うと、
ガイドのおじさんが親切にも博物館に電話をかけて聞いてみてくれました。
しかし、つい最近まで企画展覧会で展示されていたけれど、
今はもう撤去されてしまったという悲しいお知らせが....そんな...

とにかく、その博物館まで行ってみて、学芸員さんに交渉するしかありません!
博物館が建っているのは立派な大聖堂の裏手。


勇んで博物館の受付に押し掛け、お姉さんたちにおずおずと写真を見せて
希望を伝えると、あろうことか、これはここに展示されたこともないわよという答え。
頭のなかは「???」....さっきのおじさんの電話は何だったの....?
いずれにしても、その博物館にはガロ・ロマンの遺跡はたくさんあるけれど
(ル・マンは古代ローマ時代からの歴史ある街)
日本の土器はないというお話。


お姉さんたちは、途方に暮れた私たちに、12年前のセレモニーが開かれた
教会に行ってみては?と提案してくれました。


その教会は博物館からとても近い場所にありました。
手がかりを求め、すがる思いで向かった私たちを待ち受けていたのは、
残酷にも固く閉じられた扉....

ル・マンに到着してからすでに1時間が過ぎ、振り出しに戻ってしまった宝探し。
雲ひとつない晴れ渡った空の下、さすがに諦めの色がよぎります。

日本からロンドン経由でこんな場所まで来て、土器に辿り着けなかったら、
いくらただの通訳ガイドとはいえ、さすがに責任感を感じてしまいます....

そんなとき、背後から現れたのはなんだか街の事情を心得た金髪のマダム。
扉をぐいぐい押す私を見て、ここが開くのは14時からよ、
日本の土器を探しにきたの?それならこの上の市庁舎に行ってみなさい。
と有難い助言をくれました。


確かに、市に寄贈したのだから市庁舎で聞くのが一番かもしれません。
石の階段を登り、市庁舎の正面に出ると、ちょうどお昼休みを終えて開いたところ。

ところが、受付にいたのはまだ若い青年で、
土器の写真を見せても、ぴんと来ない様子....
Musée de Tesséじゃないかな...といいつつ根拠も自信もなさそう。
でも、行ってみるより他に仕方はありません。

とりあえず 市庁舎前の広場のレストランで腹ごしらえ。
ココット料理専門のお店で、おいしいランチとワインをいただきました。
カラッと晴れた日のテラスでの食事は気持ち良く、
元気を取り戻しました。

そんな食事中、ひとつ浮かんだ妙案。
持ってきたアルバムの中に映っている人物がまだ市庁舎で働いている
らしいから彼を訪ねてみようと。
12年前、セレモニーの場にいた人なら確実な情報を握っているに違いありません。

かくして再び受付に戻ると、今度はマダムが対応してくれました。
彼ならいるわよ、ちょっと電話してみるから待ってねとあっさり取次いでくれて、
あぁ、もうこれで大丈夫だと一安心。

迎えに下りて来た秘書の女性がオフィスに通してくれて、
今はル・マン市の文化振興を担うその人物は、
アルバムの写真を見せると、とても懐かしそうに思い出話をしてくれました。

そして土器の所在も判明。やっぱり最初のお兄さんが
教えてくれたとおりMusée de Tesséで間違いありませんでした。
(お兄さんごめんなさい)
すぐに電話で館長に話を通してくれ、意気揚々と美術館へ。




立派な建物のこの美術館は、エジプト美術とルネサンス〜近代絵画を所蔵しています。
受付で目的を告げると、左手の入口へ案内され、
すぐ脇の展示ケースに、土器が展示されていました。

安堵の瞬間....事前に何の情報も得られず、とにかくル・マンまで来て、
人づてに2時間半近く彷徨い、ようやく辿り着くことができました。
目的が果たせて本当に良かったです。

やがて館長さんも降りてきて美術館の中を案内してもらいながら歓談。
この館長さんが、フランス人とは思えないくらい親切でにこやかな方で、
心地よい旅の締めくくりとなりました。


何でもインターネットで調べてから行動してしまう昨今、
こんなスリリングな宝探しもたまにはいいかもしれません。



8/05/2012

ポンピドゥー アンリ・サラ展 2012 


リヒター展を見た後、反対側のギャラリーでアンリ・サラ展を
やっていることに気付き、続けて見ることに。

やけに人が多いなあと配布されていたパンフレットに眼を落すと、
なんと訪れた日が最終日でした。ラッキー。

アンリ・サラはアルバニアに生まれ、ベルリンを拠点に活動するアーティスト。
ちなみに男性です。(私は名前の響きで最初女性だと思い込んでいました...)
昨年は国立国際美術館とカイカイキキギャラリーでも個展が開催されたみたいですね。
同じ出品作もありますが、アンリ・サラの作品は展示会場が違えばまた別物。

会場に入ると出迎えてくれたのは、向かい合うゴム手袋。
Title Suspendedだそうです。



会場内には巨大な四角い5つの枠がまばらに配置され、
その中で映像が次々と流れるインスタレーション「Extended Play」が展開されていました。

以下の4つの映像作品で構成されています。

「Answer Me」
「Le Clash」
「Tlatelolco Clash」
「1395 Days without Red」

合計すると60分になるこれらの映像が12のシークエンスに分割され、
5つのスクリーンで順番に流れたかと思えば、あるときは同時に流れ始めたり。



だから、私たちはその度に慌てて立ち上がって
次のスクリーンの方に移動しなければなりません。
ざっと50人強はいたと思うのでちょっとした大移動です。


映像が終わると、突然スクリーンが赤や紫、薄いブルーに染まり、
オルゴールの音色がスピーカーから会場全体に反響します。




その音色は、パンク・バンドThe ClashのShould I Stay or Should I goというメロディー。
ガラスの壁面に設置されたオルゴール作品「No Window No Cry」も、
自分の手でハンドルを回して同じ旋律を奏でることができます。




そのまわりには映像に合わせて自動でリズムを刻むドラム作品Doldrumsが置かれ、
教会やカフェテラス、ニキ・ド・サンファルのオブジェや噴水、そして道行く人
ガラスごしに眺められるという贅沢な空間に。




オルゴールを回したり写真を撮ったりしていると、
顔をにゅっと近づけ笑わせてくるイタズラ好きのおじさんに2人も出くわしました。




そんな感じで言葉で説明するのは難しいですが、
会場内は、映像作品の音と、誰かが回すオルゴールのメロディー、
そしてドラムのかすかな音が重なり、
現実とフィクションが交錯する空間に。

でも、展示室内で起こること全てに感覚を開いていると、
どれが現実でどれがフィクションか、
スピーカーの音だからフィクションで、オルゴールは現実で、とか
そんな区別はなくなってしまいます。

全ては見えるものと音そのものとに還元されて、
たとえば実際のドラムの音とスクリーンの中のドラムの音の
あいだにあるズレが、現実/フィクションのズレではなく
音の質そのもののズレとして知覚されるような。

スクリーンが一色に染まるひととき、
オルゴールの音を聴きながら
眼も耳も充足したとても静かな高揚感を味わいました。


ポンピドゥー リヒター:パノラマ展 2012


今や現代美術の大御所、ゲルハルト・リヒターの展覧会をポンピドゥーで開催中。
ベルリンのノイエ・ナショナルギャラリーからの巡回です。

1932年生まれだから、もう80歳になるんですね。
回顧展と呼ぶにふさわしく、初期の60年代から現代までを網羅する内容。
世界中の美術館はもちろん、プライベート・コレクションも含めた約150点が展示され、
さまざまなシリーズの展開を追う構成です。

ちなみに、ポンピドゥー・センターがオープンした1977年に
リヒターはすでに個展を行っているので、今回の展覧会は両者にとって記念すべきもの。


リヒターの名を一躍有名にした「フォト・ペインティング」
自分で撮影した写真や報道写真をぼかすような技法で描いた油彩画で、
近くに寄ると筆のタッチが見てとれます。





雲を描いた3点が素敵でした。 
無定形の曖昧なイメージをカンヴァスに定着させるという矛盾を内包した作品。


奥に見える多くの色を並べたシリーズは「カラー・チャート」と呼ばれます。

次の展示室には「アブストラクト・ペインティング」の作品群。
鮮やかを通り越して毒々しい原色がまだらに画面を覆っています。
ペインティングナイフで絵具を押し広げたようなマチエール。 


雲といい、蝋燭といい、形ないものを描くと本当に見事です。
写実と言ってしまえばそれまでだけど、そうではない。
むしろ雲とか蝋燭といったモチーフは、
不確かなものを描くために召還されているのだと思います。




低く雲がたれ込めた街並み。遠方にはサクレ・クール寺院。
ポンピドゥ・センターのエスカレーターや展示室の窓から眺める景色が、
一番パリを間近に俯瞰できる気がします。



展示室の所々に置かれたガラスのオブジェ。

続いては「グレイ・ペインティング」のシリーズ。
この鋭角の展示室が、全体のアクセントになっていました。



最初は、あまりにも点数が多い 「アブストラクト・ペインティング」に
居心地ならぬ眼心地の悪さを感じていたのですが、
しばらく見ていると、ふっと、リヒターは「フォト・ペインティング」から
それほど離れていないんじゃないかという気がしてきました。
見えるものの境界を問うような仕事。





展示構成の後半では、肖像画のシリーズや、 
1977年10月18日のドイツStammheim刑務所での3人の若者の死を
報道写真をもとに描いたシリーズで構成され、
再びモチーフのある絵画に戻ってきます。






私は2005年〜2006年の金沢21世紀美術館と川村記念美術館での
彼の個展を見逃していたので、まとまった作品を見たのはこれが初めて。

今年のアート・バーゼルでもたくさんの小品が売りに出されていましたが、
やはり大作を一挙に見られる機会があってよかったです。

8/02/2012

2年目のパリ


日本への一時帰国を終え、無事パリに戻って来ました。
8月の1ヶ月間は20区の小さな部屋に滞在予定です。

広いベッドに大きなテーブル、そしてオープンキッチン...
念願だったパリのアパルトマンでの一人暮らしです。
何より気に入っているのが、部屋からの眺め。

光の強さや、
薄灰色の屋根が、時間によってその色を変えゆくさまを
感じることができます。





日本ではおいしい和食を毎日食べ、
昔からの友人や新たな出会い、色々な人に出会って
思う存分リフレッシュできたので、
また1年、心新たに研究に励みたいと思います。