7/29/2012

越後妻有トリエンナーレ2012


渡仏直前の2日間、夜行バスで1泊2日の越後妻有訪問。
早朝と深夜の長岡駅前でひとりバスを待っている間は心細かったけど、
3年前に初めて訪れたときは足を伸ばすことができなかった場所を
車で案内してもらい、
山と海の幸、そして新潟のお酒も堪能して、
心に残るトリエンナーレ訪問となりました。

長岡からの直通列車で十日町駅に着くと、
フランス人アーティスト、Alberola氏デザインの電車が。
お土産ショップにも、彼の版画ポストカードが売られていました。




駅まで迎えに来てくれた知人の案内で最初に向かったのはタレルの光の館。
直島や金沢で体験したことはあったけれど、和室に落ちる光というのはまた別の趣き。


ここに泊まって、空の色の移ろいをずっと眺めていられたら心地良いんだろうな。
3年後には仲間を募って実現したいものです。






そして開会式の混雑が引いた頃にキナーレへ。
エントランスを潜り、待ち受けていたのは
ボルタンスキーの巨大インスタレーション 《No Man's Land》
積み上げられた衣服と、機械的にそれを掴んでは落すクレーン、
低いコンクリートに囲まれた空間内部に響く心臓の音。


作品としては、2010年のパリのモニュメンタ「Personnes」で
グランパレを舞台にすでに実現されており、
今回の展示では、半分屋外ともいえる四角い中庭を覆い尽くしています。


ボルタンスキーはホロコーストに関する作品で知られますが、
新潟の地でこのインスタレーションに対峙すると、
3月11日の大震災で犠牲になった無数の命の存在と不在が迫ってくるようでした。
実際に衣服の一部は被災地からもたらされたものだとか。


空っぽになってしまった無数の衣服と、
そこに立ち尽くす私たちの身体の内側まで入り込んでくる心音。
しばらく動けませんでした。




洗濯も何もされていない衣服の山からは、特に雨の翌日などは
匂いが立ち上りさすがに苦情の声もあったようですが、
北川フラム氏は「匂いもアートだ」と一蹴したそう。








キナーレ内部の展示空間は、軽やかな現代アート作品が多かったように思います。






ちなみにキナーレには明石の湯という温泉施設もあり、
夜にはここで日本滞在最後の大浴場を満喫しました。


新潟名物へぎ蕎麦と野菜の天ぷらで腹ごしらえした後は、
徒歩圏内の商店街を散策。


上西エリカさんの《Growing  Memories》に、切実な目標を一筆書いてきました。
世界平和を祈っている人が多くてみんな立派だなぁ...。




十日町駅から2駅の下条駅では、小沢剛さん企画の油絵茶屋再現。
去年、留学後に開催された浅草の方を見逃していたので行けて良かったです。


明治7年に日本で初めて開催された油絵の展覧会。
まだ、油絵や日本画という概念すらなかった時代、
今となっては知る由もありませんが、当時の観衆の反応が気になります。






みかんぐみの新作は茅葺き屋根の塔。






2日目は、松之山温泉街をさらに登ったところにある上湯へ、
絶対自分では運転できなさそうな道を車で連れて行ってもらいました。


ローレン・バーゴヴィッツの収穫の家。
イタリアからボランティアでやってきたというこへび隊の青年が出迎えてくれます。




ロビン・バッケンの《米との対話》
小林一茶の句をモールス信号にして稲に送るというというのは謎でしたが、
光ファイバーを織り込んだ畳の展示は美しかったです。




ジャネット・ローレンスの《エリクシール/不老不死の薬》
この地に伝わる薬草学をもとに、地元の植物を焼酎につけ込んだ瓶が並びます。




ちなみにこの3作家はみなオーストラリア出身の女性アーティスト。
越後妻有の自然や伝統への感受性に共通するものを感じました。


さて、上湯にやってきた一番の目的はアブラモヴィッチの夢の家。
入口は向日葵や紫陽花で彩られたほっとする空間。


エントランスのアブラモヴィッチ自身の言葉にもありましたが、
この夢の家は、現地の人に受け入れられ、愛をこめて手入れ・運営されていて、
宿泊者と見学者を同時に受け入れる苦労は察して余り有るものがありますが、
ぜひこれからも「日常に組み込まれた現代アート」として、守っていってほしいです。


今年は、ここに泊まった人々の夢の記録を集めた『夢の本』が出版されています。




私は、やっぱり青い部屋がいいかな...。





外に出ると、うだるような暑さのなか、大地を埋め尽くす緑は圧倒的で、
遠方にかすむ山々の青いグラデーションが風景に奥行きを与えていました。




キョロロの向かいには「美人林」
蚊さえいなければもっとゆっくりしたかったのですが。






松代ではVilmouth先生のカフェ・ルフレでランチ。
里山の食材を使った素朴な料理、野菜だからいいよねと全種類制覇しました!






午後はカフェの相席で仲良くなったデザイナーの女の子を口説き落して、
タクシーで山奥の清水・松代生涯学習センターへ。


川俣正氏による「中原佑介のコスモロジー」
故中原氏から寄贈された3万冊の蔵書を使ったインスタレーションと聞き
どうしても訪れてみたかったのです。


会場は旧清水小学校の2階体育館。
バベルの塔さながらに書物が積み上げられています。
本を手に取ることはできませんが、背表紙や表紙を眺めながら
中原氏の思索の宇宙へと導かれます。




周辺部には、貴重な写真や資料がずらり。


「人間と物質」展の会場記録写真。




塔の内部ではインタヴューが流れていたのですが、
展覧会の作品は、散りゆく桜のようにやがて撤去されるから人々の心を掴むという
言葉が印象的でした。











農舞台の河口龍夫氏による《関係-黒板の教室》


抽き出しの中には小さなオブジェがしまわれていて、トポフィリ展を彷彿とさせました。




今回の越後妻有トリエンナーレ訪問も、やはり時間と移動手段の制約がありましたが、
未見の作品や今年新たに制作された作品を巡ることができました。
気付けば、Alberola氏、Vilmouth氏、川俣正氏とパリのボザールの教授陣の
作品に出会う機会が多かったような...。


そして何より、地元の方々に案内してもらい、休憩所で話を聞いて思ったのは、
新潟の人々が芸術祭を受け入れ、愛し、誇りに思っているということ。
今年の新作や、作品の位置情報、制作年など熟知していて、
本当の意味で彼らのトリエンナーレになっているのだなと感慨深かったです。
ヴェネツィアやカッセルにはない側面ですね。


私は2日間の滞在中、
アートではないけれど、里山に聳える鉄塔にすっかり心奪われてしまいました。








最後の晩餐は、のどくろやくろえびといった東北の魚介類をつまみに、
北雪大吟醸YK35(おいしかった!)、越乃寒梅その他記憶が定かではありませんが、
新潟のお酒をたくさんいただきました。



7/25/2012

引き裂かれた光


軽井沢のセゾン現代美術館で開催中の「引き裂かれる光」展
は以下の3名がキュレーションを担当した異色の展覧会。

ブルー 小林康夫先生(東京大学)
むらさき 篠原資明先生(京都大学)
レッド 難波英夫氏(セゾン現代美術館館長)

こうして並記されると子ども向け戦隊もののヒーローみたいで
ちょっと笑えます...。

エントランスの看板。若林奮氏の鉄とのコントラストがかっこいいですね。


展覧会は、青と赤、そしてその間にある紫の3色をテーマに、
それらの色が象徴的に使われた作品を展示するというもの。

ブルーならばサム・フランシスやイブ・クライン、アニッシュ・カプーア、
むらさきは中西夏之や中村一美、
レッドはマーク・ロスコや横尾忠則、ジャン・ティンゲリーと
まさに色以外は共通項がなさそうです。

しかし、岩に顔料をまとわせたカプーアによる《天使》の青が
クラインへのオマージュであるように、
色そのものが作家の制作において重要な意味を持つことがあります。

ちなみに、それぞれの色の展示には副題がついていました。

青は「ブルー・カタストロフィー」
黒田アキ氏の《ブルー・マグマ》やクライン、ポロックに囲まれた空間に置かれたのは
アバカノヴィッチの《ワルシャワー40体の背中》。

背後から見ると首のないブロンズの背中が40体並んでいて
それだけでも充分異様ですが、
正面に回り込むと内部は空洞になっていて不安を煽ります。

思い浮かんだのはデレク・ジャーマンの「ブルーは目に見える闇の色」という言葉。

それ自体青色は使われていないアバカノヴィッチの作品は、
人間の身体に開いた闇によって、
ブルーのカタストロフィックな深淵をのぞかせているように思いました。

紫は[むらさき]という括弧付きのタイトル。
インタヴューによると、滝に見立てたフォンタナの作品の前に置かれた
賽子(篠原先生自身の作品)が沈み、
それが再び紫の飛沫となって隣の会場に散らばったという
構想だそうですが、さすがに解説がないと分かりませんでした。

赤は「レッド・イリュージョン」
ティンゲリーの《地獄の首都No.I》は
資本主義社会の虚を批判とユーモアで見つめた作品。

展示室奥に掛けられたロスコの《ナンバー7》は
赤で満たされた眼を紫から青へと送り返してくれるような
深さを内包しています。


常設展の方は、予算の制限もあるのでしょうか、やや残念な空間。
せっかくの作品がもったいない気がしました。


美術館から一歩踏み出すと、広がるのは一面の緑。


庭は彫刻家若林奮氏による設計です。






蚊と闘いながらぐるっと一周して帰路につきました。

7/23/2012

室生山上公園芸術の森


京都から日帰りで奈良県は宇陀市に小旅行に出かけました。
女人高野として有名な室生寺があるところです。

京都駅から近鉄京都線と大阪線を乗り継いで、約2時間弱の道程。
室生口大野という小さな駅の前からバスが出ているのですが、
乗客は地元の学生の男の子が2人と、観光客らしき人が2、3人。

バスは家が立ち並ぶ地区を抜けて、渓流沿いの道路をぐんぐん走ります。
山の緑は濃く青々と茂り、傾斜の急な山肌を包み込んでいました。

室生寺入口のバス停に着いて、
参拝に来たバスの乗客たちは揃ってお寺の方に向かい、
私はひとり反対側の坂道を登ります。

水田の黄緑色と山の濃緑が織りなす美しいコントラスト。




目的地は室生山上公園芸術の森
その名の通り山の上にあるので、
万年怠けものの足たちは途中何度かくじけそうになりました。
この地域は地すべりが深刻な問題で、訪れた日も山の中腹で工事が進行中。



あまりの暑さに写真も朦朧としています....。

「芸術の森」は、そんな地すべり対策の跡地を利用して、
イスラエル出身の彫刻家ダニ・カラヴァン氏が設計した公園。
過疎化が進む地域の活性化という希望も託されているそう。




ホームページを見てもらえれば分かりますが、公園内にはそれぞれ名前のついた
12の大きなオブジェがあり、いくつかは地下にもぐったり、上を歩いたり、
中に入ったり、登ったり、自分の身体で体験できます。




「螺旋の竹林」の渦巻きを降りていくと....



ポルトボウのベンヤミンへのオマージュもこんな感じなのかな...
いつか行ってみたいです。


「螺旋の水路」奥に一本の木があるのがいいですね。

公園にはいくつかの池があって水路が流れており、
そこに映った雲と太陽がとても神秘的でした。







「太陽の塔」内部。影がくっきりと光を切り取っています。


「太陽の塔の島」







鴨の親子。子どもたちがちょこんと泳いでいるのがとても可愛かったです。




少し小高い位置に立って見渡せば、地すべりなんて想像もできないほど
穏やかな公園が広がっています。
公園になる前のこの場所がどんな状態で、
どういう段階を経て今の状態に辿り着いたのかは想像を巡らせるしかありません。

カラヴァン氏が初めて室生村にやって来たのは1998年のこと。
それから2006年の完成まで16回にも渡って足を運び、
配置や大きさのシミュレーション、工事の進捗状況確認を行ってきたようです。

おそらく最初は山肌も露わな荒れ地だったことでしょう。
いま私たちの眼に映る公園は、幾何学的なオブジェと
周囲に広がる自然との均衡が取れた空間です。

ひとつひとつのオブジェやその配置に込められた意味や
(「意味」という言葉が正しいのかどうか分かりませんが)
それがそこに置かれる必然性について、
すぐ側に控える室生寺の存在や、緯度、太陽の道筋までも含めて
カラヴァン氏が地球.....宇宙規模の緻密な考察を重ねていることは確かです。

不勉強な私はその具体的な内容を調べるまでには至りませんでしたが、
この場所を訪れて、作家の意志をも越えたところにある
物とその配置の内的必然がもたらす秩序を感じることができました。
とても安心できる、守られた空間なのです。


でもそれを安易に「自然との調和」などと言ってはいけないことがすぐに分かりました。
北入口から時計回りに回って戻ろうとしたとき、
眼に飛び込んできた唖然とする光景。



写真だと分かりずらいですが、
あと一回豪雨でも降れば崩壊しそうな地すべりの跡です。
むしろ、土砂や押し倒された木々がここまで流れ落ちてきてもおかしくないのに、
かろうじてその一寸手前で時間が止まったような緊張感。

「地すべり対策」というのはこのすべてを押し流そうとする自然の力に抗すること。
地形を知り、耐久性のある鉄やコンクリートといった素材を使うのはもちろんですが、
ときに破壊的な力で迫って来る自然に、人間の意志で秩序を与え返すというのは、
並大抵の力量ではできないことだと実感しました...。

ちなみに、その後大学で出席したゼミ発表でこんな知識を得ました。
幸田露伴を父にもつ女流作家幸田文(あや)の随筆に『崩れ』(1991年)というのがあり、
70を越えた老女文が日本全国の地すべりの跡を訪れ恍惚に浸る様を描写しているそう。
おそろしいですね。






せっかくなので、室生寺にもお参りすることに。
かつて女人の参拝を禁じた本家高野山にたいして、
それを許した室生寺は女人高野と呼ばれるようになったのだとか。
この日も大勢の女人の方々がいらっしゃっていました。




こちらの五重塔は奈良時代後期に建立されたもので国宝。
日本で一番小さい五重塔だそうです。



こちらも国宝の弥勒堂。 


金堂では何と特別拝観の時期で、
国宝十一面観音像をはじめ、中尊 釈迦如来立像、薬師如来立像、
そして運慶作と伝えられる十二神将を
金堂の中に入って近くから拝むことができました。





帰り道に、大野寺にも立ち寄りました。
行きのバスから宇陀川の向こうに見えた磨崖仏が気になったのです。
高さ11.5mの弥勒仏立像。写真ではさっぱり見えませんが、
岩肌に描かれた仏の線刻の清々しさ、しかも1207年の制作、
見事としか言いようがありません。