11/22/2011

パリの散歩者

週末を利用して念願のヴェネツィア・ビエンナーレを訪れ、
今朝ねぼけまなこで帰ってきました。


11月のヴェネツィアは深い霧にすっぽりと包まれていて、
夜になると街灯の光がもやの粒子に乗ってやわらかに拡散し、
街全体が今年のビエンナーレのテーマ「ILLUMInations」に呼応していたかのよう。


2日間で本当にたくさんの作品に出会い、まだ自分の中で消化できていないので、
今回の旅についてはまた改めて書きたいと思います。


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早朝のヴェネツィア行き飛行機に飛び乗った土曜日から遡ること3日前、
16日の水曜日は、ケ・ブランリー美術館でミュゼオロジーの授業を受けたあと、
パリに滞在中の館長とお昼にグランパレで待ち合わせて、街に繰り出しました。


まずはオデオン駅周辺でランチの場所探し。
オデオンは、カルチエ・ラタン[ソルボンヌ大学周辺の学生街]と
高級店が並ぶサン・ジェルマン・デ・プレ地区との中間にあって、
感じの良いレストランやカフェが居並ぶ界隈です。


大通りから少し入ったところにある、
時折前を通りがかっては素敵だなぁと思っていたオープンテラスのイタリアンで、
館長はモッツァレラ・チーズ&トマトの前菜とポモドーロ・パスタ、
私は新鮮な野菜たっぷりの牛肉のカルパッチョと、大好物のニョッキをいただきました。
(子ども舌と言われようが、小さくてまるくてやわらかいものが好きで、
牡蠣などグロテスクな食べ物や、コーヒーやビールといった苦い飲み物は苦手です....)


留学前、美術館でお昼をご一緒していたときは、
いつも度肝を抜かれるようなアドバイスに驚きながら聞き入っていましたが、
パリでも館長節は健在です。


道行くパリジャンたちの歩き煙草を眺めながら皆さんの近況を伺っていると、
学芸員のなかでも、とりわけかよわくて儚い雰囲気の漂うS女史にだけには、
何とか煙草をやめてほしいと前々から思っていたんだよという話に行き着きました。
S女史さま、館長を安心させるためにも、ひとつご検討くださいませ...。


腹ごしらえが済んだら、リュクサンブール美術館の「セザンヌとパリ」展へ。
セザンヌは1860〜90年代にかけて、エクス=アン=プロヴァンスと
パリを中心としたイル・ド・フランスを往復するような生活を送っていました。
パリの風景を描いた作品自体はあまり多くありませんが、
世界各地から集めたセザンヌの油彩やデッサンが100点以上並ぶまたとない機会。
1点の作品を凝視する時間も大切ですが、
画業全体を俯瞰できるような点数が並んで、改めて見えてくるものもあります。


青と緑とオレンジを基調にした、独特のタッチのセザンヌの風景画は、
私にとって、画家が何を見て、何を描いたのかを問うという、
絵を見るときの最も素朴な姿勢に立ち戻らせてくれる作品です。


それにしても、ダニ・カラヴァン氏が語っていたという
セザンヌとボナールの作品の関係が気になります。
今回1点だけ出品されていたボナールの作品は、画商ヴォラールの肖像で、
画面の中にはセザンヌの作品の一部が描き込まれていますが、果たして...。
もう一度、カタログをめくりながら考えてみたいと思います。


美術館を出たあとは、ちょうど歩いていける距離にあるスタインの邸宅へ。
ガートルードも毎日のように散歩したであろう、
リュクサンブール公園の西に伸びるFleurus通りをてくてく歩いて、
スタインの家の前で写真を撮ったり、中庭を覗き込んだり...。
そうこうしているうちに、
スタイン研究者か愛好家らしきアメリカ人のおじさんもやってきました。
「スタインは何階に住んでいたの?」といういささかマニアックな質問には
答えられませんでしたが、スタイン展開催中とはいえ、
同じ関心を持つ人と一緒になるというのは嬉しいことでした。


最後は、休憩も兼ねてサン・シュルピスのカフェへ。
一次資料との出会いの大切さや、ものを書く思考の作り方について語ってくださって、
自分の留学生活を見直しつつ、改めて「広い思考」を自分の頭の中に据えることができました。


大学の講義から得る専門的な知識や、
図書館での調べものを通して、パリの19-20世紀転換期という時代の美術に
深く分け入っていく感覚のかたわらで、必ずしも美術研究に限定されない、
より大きな視点を維持していくこと。
一人の作家に真剣に向き合えば向き合うほど、開けてくる視点だと実感しています。




冬の近づいたパリらしく真っ白な曇り空の下、
リュクサンブール公園の周辺をカフェや美術館に立ち寄りながら散歩。
ずっと楽しみにしていた1日を、ゆっくりとかみしめながら過ごすできました。

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