2ヶ月ほど前になりますが、
今年で第7回を迎えるベルリン・ビエンナーレを初めて訪れました。
時間が限られていたので、見ることができたのは
KW現代美術研究所の展示のみです。
今年のキュレーションは1966年生まれのポーランド人アーティスト
Artur Żmijewski [アルトゥール・ジミエフスキ]。
映画を含めた映像や写真といった媒体を用いて、
人間の肉体をめぐるラディカルな作品を制作してきました。
....などと説明する私もこのビエンナーレで初めて彼の存在を認識したので、
彼の過去の作品をいくつか紹介したいと思います。
Me and AIDS, 1996, video, 3:30min
2組のカップル(1組は男女、もう1組は男性同士)が裸で衝突し合う
様子をスローモーションで見せる映像作品。
彫刻家が粘土を扱うように身体を扱いたかったと語るジミエフスキは、
ぶつかり合った衝撃で波打つ身体に、
エイズという病が引き起こす不安を喚起しようとしました。
Singing Lesson 1 & 2, 2001-2003
聾唖の子どもたちが、教会で聖歌を唱う様子を記録した映像作品。
2001年にはワルシャワの聖三位一体教会で、
Jan Maklakiewiczによるポーランドのミサのキリエ (「主よ、あわれみたまえ」)を、
2002年にはライプツィヒの聖トマス教会で、バッハのカンタータを、
それぞれ唱う子どもたちが撮影されています。
80064, 2004, DVD, master DV, 9:20min
タイトルの80064という数字は、かつてアウシュヴィッツ強制収容所に
収容されていたJozef Tarnawa氏が属していたキャンプ・ナンバー。
ジミエフスキは彼と多くの議論を重ね、
再びこのナンバーのタトゥーを入れることを説得、その様子を撮影しました。
過去の屈辱を思い起こせることで「記憶の扉を開き」、
「記憶を放出」させることがねらいだったと語っています。
こうした作品からも窺えるように、
ジミエフスキはラディカルな態度で政治やモラル、
人間の肉体にまつわる作品を制作してきたアーティストです。
そんな人物がキュレーション(という言葉が正しいのかどうか怪しいですが)
したのが、2012年の第7回ベルリン・ビエンナーレ。
「FORGET FEAR」というスローガンを掲げ、
このロゴに象徴されているように、
ビエンナーレをOCCYPY[占領]しようという態度そのものが
大きくクローズアップされ、多くの議論を呼びました。
KW会場に一歩足を踏み入れると、「STOP WAR」「ANTI CAPITALISME」
といった文字が踊り、内部は張り紙や落書きだらけ。
元々乱雑な空間なのかと思いきや、ホワイトキューブだったというから驚きです。
そして、来場者に混じって、作業したり議論したり食事を取ったり、
明らかにここに住み着いていると思われる人たちが...
実は彼らは"We are the 99%"をスローガンに活動する
ウォールストリート占拠運動のメンバー。
現実社会で活動してきたメンバーによって占拠させるというのが
ジミエフスキの意図です。
そんなことしていいの?と思う人もいるかもしれませんが、
本来ベルリン・ビエンナーレは国家や市といった行政が主導してきた
ヴェネツィア・ビエンナーレやドクメンタとは異なり、
かつてミッテ地区にオルタナティブ・スペースを開いた Klaus Biesenbachが提唱し、
コレクターでありパトロンのEberhard Mayntzの協力のもと
出発したという経緯があります。
第1回展には、現代アーティストへのインタヴュー集で知られる Hans Ulrich Obrist、
そしてNancy Spectorといったキュレーターが協力、
現在でも比較的自由な企画運営が可能となっているのです。
しかも会場となった界隈はベルリンの壁崩壊後、アーティストたちが
廃墟となった建物を占拠して制作活動を行ってきたという過去もあります。
したがって、「現代アートは社会的なインパクトを持つことができるか」と問う
ジミエフスキが仕掛けた「ビエンナーレにおける占拠運動」は、
ベルリン・ビエンナーレの成り立ちと、この場所が持つ歴史を考え合わせると、
現実社会で起こっていることに対する彼の反応として、
非常に理にかなったふるまいにも思えてきます。
しかし、キュレーターの住友文彦さんがartscapeに書かれたレポートで
「ジミエフスキにとって、これがアートの制度に回収されてしまうこと、
ある種のスタイルとして消費されることほど、我慢ならないことはないだろう。」
と指摘しているように、美術館や展覧会、ビエンナーレといった
アート作品が展示され鑑賞される場として確立された制度内で、
その境界を崩そうとする試みは、
常に予定調和的なものとして解釈されてしまう危険性を孕んでいます。
自戒を込めて書けば、ビエンナーレの趣旨について大した下調べもせず訪れ、
会期中、多数開催されていたプログラムに参加したわけではない私も、
ジミエフスキが警戒する観客の一人だったかもしれません。
話は逸れますが、
この夏に一時帰国した際、ワタリウム美術館で見た「ひっくりかえる展」は、
フランスのJRやロシアのヴォイナといったアーティストが
路上で展開してきたプロジェクトを、
展覧会という枠組みのなかで
映像や写真、テキストを用い紹介するという展示でしたが、
いち鑑賞者としてやはり同様の危惧を覚えました。
美術館で展示されるということは、
今現在の社会においてどんなに反制度的な試みであったとしても、
すでに一定の評価が与えられた
過去の作品であるという印象を与えてしまいかねません。
ただ、ベルリン・ビエンナーレと同様「ひっくりかえる展」も
Chim↑Pomというアーティスト集団によって企画された展覧会ということで、
アクチュアリティを保持していたのかなとも思います。
会場で、実際に占拠運動が展開されていたのは1階部分のみで、
2階から上の階は、公募によって選ばれたアーティストの作品が展示されています。
応募の際には、作品のポートフォリオや経歴だけではなく、
アーティスト自身の政治的立場を明確に示すことが求められたそう。
エントランスの壁を埋め尽くすStéphane Hesselによるオレンジ色のテキスト。
"TO CREATE IS TO RESIST, TO RESIST IS TO CREATE"という言葉が
ひと際大きく書かれていました。
MIROSŁAW PATECKI, Christ the King, 2012
2010年、ドイツとの国境に近いポーランドのŚwiebodzinという街に建立された
高さ50mにも及ぶ世界最大のキリスト像。ビエンナーレ会期中、
PATECKIはその頭部のレプリカを会場内で制作しました。
Marina NAPRUSHKINA, Self # Governing, 2011/2012
「ヨーロッパ最後の独裁国家」と言われるベラルーシでは、
ソ連から独立した後、共和制となった現在も、抗議運動にたいする
ルカシェンコ大統領の抑圧が続いており、メディアやインターネットの監視も。
そんな状況下で、NAPRUSHKINAは新聞 Self # Governing を発行。
会場には紙面の一部が描かれていました。
Lukasz SUROWIEC, Seeds, 2011/2012
かつてのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所のキャンプ付近に生えていた
白樺の芽を ベルリンに持ってきて育てるというプロジェクトBerlin-Birkenau。
KW会場では、1000もの種が蒔かれました。
その他にも、ジミエフスキ自身が出品した映像作品Berek
(ナチスのガス室のなかで裸で子どもの遊びに興じる男女を撮影した映画)や、
パレスチナ人アーティストKhaled Jarrarが、
自らパレスチナ国家のスタンプを制作し、
パレスチナやベルリンのチェックポイント・チャーリー付近で
人々のパスポートにこのスタンプを押すというプロジェクトを展開した記録など
政治的な作品が多く集められていました。
KW会場前のカフェには、多くの人だかり。
右手前に置かれているのは、
Aida Refugee Campのパレスチナ難民たちが作った巨大な鍵。
今回のビエンナーレのために借りてきた実物だそうです。
1948年から1967年にかけて家を離れ難民となることを余儀なくされた彼らは、
すぐに戻って来られることを信じて自宅の鍵を手放しませんでした。
世代を越えて受け継がれる鍵は、失われた家の記憶であり、
彼らが望む「帰還への権利」の象徴となっています。
晴天のもと訪れたベルリン・ビエンナーレ、
一歩外に出ればギャラリーやカフェのひしめくベルリンの日常が広がっていますが、
ただならぬ緊張感に包まれたKWの会場でも、
まぎれもない現在進行形の世界の姿を目の当たりにすることができました。
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