7月22日まで、パリのジャックマール=アンドレ美術館では
画家ウジェーヌ・ブーダンの展覧会を開催中。
オスマン大通りにあるこの瀟酒な美術館は、
フラアンジェリコといい、カナレット&グアルディといい、
いつも良いところを攻めてくれます。
小さな展示室が混みすぎるのが玉に瑕だけど、
今回は、ホッパーさん、ランボーさんと会期早めの夜間開館に出かけたので
すし詰め状態は避けられました。
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ブーダンは1824年生まれ。
ピュヴィ・ド・シャヴァンヌや
アカデミスムの画家ジェロームと同い年です。
出身は北フランスの港町オンフルール、
11歳のときに家族でル・アーブルに移り住みました。
フランスの中でも空が最も表情に富んだ
ノルマンディの地で育ったことが、
のちにコローをして「空の王[roi des ciels]」と言わしめた
ブーダンの進むべき道を照らしたのかもしれません。
22歳のときに画家になることを決意。
その後3年間の奨学金を得てパリに趣き、
オンフルールに戻ったブーダンは、
34歳のときに決定的な出会いをします。
そう、相手は16歳年下のモネ。
この出会いは二人にとっても、フランス近代美術にとっても
重要な出来事となります。
ル・アーブルで戯画を描いていた当時のモネに、
光に向かって眼を開かせたのはブーダンでした。
ブーダンとともに陽光の下で描くことを学んだモネは、
翌年パリに出てピサロやシスレー、ルノワールらと出会い、
1874年に第一回印象派展を開くことになります。
チューブ絵具の普及や、美術校での野外スケッチの勧めなど
19世紀半ばの美術界が
印象派誕生の礎を築いていたことはたしかですが、
ノルマンディーでの二人の出会いがなければ
何かが違ったものになっていたかもしれません。
「空の王」が世を去って20年以上も経ち、
視力も衰えた晩年のモネが、
視力も衰えた晩年のモネが、
「すべてはブーダンのおかげだ[Je dois tout à Boudin]」
(1920年のギュスターヴ・ジェフロワへの手紙)
と綴るのを見るとき、
このたった5語に込められた二人の交流の計り知れなさに
敬服する思いがしました。
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展覧会はいたってシンプルな構成。
奇を衒ったことを一切しないのも、
ジャックマール=アンドレ美術館の余裕を感じさせます。
オンフルールでの初期の作品にはじまり、
ドーヴィルやトゥルーヴィルの海岸に集まる上流社交人たち、
丹念な観察に基づいて描き出された空 、空、空、
北フランスの人々の日常、
そして、ベージュやグレーの紙に現れるパステルの空、
最後に晩年、南フランスやヴェネツィアを旅行したときのシリーズ。
春夏秋冬、朝昼夜、晴曇雨嵐...
ひとつとして同じ空はなく、
しかもブーダンの空は、絵の前で見つめているうちに
雲が現れてくるような震えがあります。
美術史的にどうこうという評価は関係なく、
ブーダンの空がたまらなく好きです。
やっぱり帰国前にル・アーヴルには行かないと。
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